赤い音楽と青い服

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レールに乗った人生をやめます!←は?



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どうも。やっとごたごたが落ち着いて、ブログを見てみると、どうやらレールに乗った人生とかいうのをやめた的なのがどうも盛り上がっているみたいだね。

僕も思うことがあるから書いてみる。

 

 

レールに乗った人生

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このレールに乗った人生という比喩自体が嫌いです。なんでかっていうと、まぁ人生にレールなんてないから。幻想です。勝手に思い込んでいるだけ。

レールって何

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レールというと、まぁ何も考えないで生きている人間的な意味なのかもしれませんけど、何も考えないで生きている人間なんて一人もいない。少なくとも、僕の周りではいない。本当に『何も』考えていない人間は。

独立しようが、会社に勤めていようが、脳がある限り、考えている。ただ、考えている内容が違うだけ。A君は世界平和のことを考え、B君は晩御飯のことを考える。それは質が違うようにみえるが、晩御飯のことを考えることが、B君にとっての世界平和だ。彼の世界は晩御飯を考えることによって救われるのである。

 

レールというのは小学校から中学校、または大学を卒業するまでの教育現場のことを言うのか?そして、勤め人のことをレールというのか?

 

企業家はレールに外れているのか?よくわからないけど、『レールに乗った人生』を否定すること自体が、正直、レールに乗っているものだと感じます。

偉い人が『幸福という言葉自体が不幸』といっていた。意識する必要性があるということは、それを概念として固定化するということになる。つまり、レール自体意識することこそがレールに乗っているってことだ。

レールというのは恐らく、社会的な生活である。それは最後には労働、そして『国民の義務』につながる。

 

生まれてから多くの人が、死ぬまで『日本国』に登録される。この登録上にいるならば結局のところ僕等は皆、国民の義務からは逃れられない。そう簡単にレールから外れられない。すべての関係を断ち切り、山にこもるしかない。

 

だから、レールに乗るとかのらないとかそういう話じゃないと思うのです。

しいて言うなら、生まれたときからレールに乗っているわけです。レールに乗らないのは、ほかの自分以外の人類が全員滅亡したとき。

どこに行ってもレールには乗ります。僕も人生経験は浅いけど、これは間違いない。難かしらのレール。それは規則であったり、お金であったり、能力であったり、まぁいろいろなところ。自分の体がある限りはレールから逃れられない。

 

マジでカルマ。マジカルマ。

レールなんて意識しないでもなにかしらの形であらわれてくるから、別にレールから外れたいとか、レ―ルに乗っている人生は嫌だとか考えなくていいと思います。

 

会社勤めがレールだ!とかいう考えを持っている時点でもう僕は『あーっ』てなります。会社がレールだと思いこんでいるだけ。会社もそれなりに独創性が必要なものだったりするし、面倒もあるし。ただ独立している人よりも、いろいろな意味で保護はされているかも。超大富豪の社長でないかぎり、常に人一倍考えています。それは事業のこととか保護されているのが嫌いな人は、自分で何かするしかないです

 

というか、みんな他人の生き方や思想に興味があるんだなと改めて思いました。もっと自分のことでいっぱいいっぱいの人間が多いと思ったのに。

 

まとめ

つまり、何が言いたいかっていうと、マジでやること多すぎだろって話。余裕があるとほかに目が向く。もっと自分のやること。自分のしたいことに目を向けて一生懸命やってればレールがどうだとか、社会がどうだとか、そういうものは目につかないのではないかなと。考えている人はいっぱいいるし、難しいことを考えている人は、難しいことを考えることが必要なんじゃなくて、難しいことを考えることが好きな人ってこと。

まぁでも、世に言うレールの上をうまく走れない人がいるっていうのは事実だから、それはそれですごい悲しいですね。レールの上ってマジで走るのしんどい。

つーか、僕もこうしてレールとかいろいろ考えている時点でレールの上にいるのかもしれないかもしれませんね。マジジレンマ。